大輔さんが出演する「ぼくらはマンガで強くなった」を見た。
その後、録画しておいたNHK杯宣伝のスポット番組「宮原知子 けがを乗り越えあの舞台へ」を見た。
くしくも同じ関大リンクの、似た情景が流れた。
故障によってスケートが出来ない状況を脱し、最初に氷の上で滑ったとき。
二人とも、「滑りやすい」「滑りが良かった」と語ったのだ。
怪我をして、その後のリハビリで弱点を補おうとした結果、滑りの質が良くなった、という話。
と、この二人のキャプチャーを出しながら、話題は羽生選手の話だったりする。
話は10月にさかのぼる。
羽生選手の「圧倒的に勝ちたい」という言葉。いや、その後に続いた言葉を聞いたとき、ふと違和感を感じたのだ。
「全員ノーミスした上で、僕もノーミスして優勝します。」
「誰がなんといおうが、タラレバを言おうが、何だろうが、勝てますという自分にしないと、自分がスポーツをやっている人間としては納得できない。」
気負いはいい。しかし、「全員ノーミスした上で」って、語る必要がある言葉かなあ、と思ったのである。
微妙な話なのだ。「誰がノーミス『しても』、僕がノーミスして優勝」なら別に問題を感じない。冷静に他の選手の状況を読んだ上で、それ以上の演技が出来るように準備する、それだけの話である。
ただ、「全員ノーミス」ねえ…そんな状況は、神様がセッティングする領分なわけで。その仮定どうなんだろうと思う。
人間は自分自身をどうコントロールするかしかないと思うんだよね。
2016ワールドの記憶がよみがえる。私は、テン様を怒鳴ったまでは羽生選手のことを問題だとは思わなかったのだ。テン選手の方が悪かったらしいし。
そう、テン選手の行動を「故意」と言い出すまでは。自分自身のことを語るのはいいけれど、他者を自分の思惑で測るな、人間はそこまでの視点は持てない、とあのときも思ったっけ。
今回も同じようにまた周りのことまで願いを語ってしまうのか。
それに、GPFのぞいて、ここのところ四大陸とか世界選手権とかの大きな大会ではショート・フリー揃えてないし、語るならそちらに重点置いた方がいいのでは、などと思ってしまう。
自分のことより他者が作り出す状況を語るところに、いささか「階段飛ばし」してないか、先走ってないか、と思ってしまったという。
次に、この言葉の気合に、昨季の四大陸や国別対抗戦のフリーの、アドレナリン全開にした演技を思い出してしまったのだ。
あのときの、自分のエネルギーをフルに出し、自我がそのまま表れたような演技を。
しかし実際に勝つのは、全てが整って、自分の中から動きが紡ぎだされていくような、観客は興奮するのに選手は終わるまではどこか静かな演技だよね。
意気軒高に語っているけれど、本人、この二つの状況に対してどっちつかずの感覚でいるような、というところがもう一つ。
なんかバランス悪いような、大丈夫かしらん、と思っていたのだ。
そうしたら本当に大丈夫じゃなくなったという…。
やっぱり「階段飛ばし」だったのかなあ。身近なところから一歩一歩、ではなく、遠くに行くために気持ちが大股になりすぎて、それが体の使い方に影響したのかも。
発熱したような体調で4Lzとか、「無茶」が「無理」へと転がったような気もしないでもない。
と、思っていたところに冒頭の二番組を見たのである。
そうだなあ、選手は故障でもしない限り、普段は「階段飛ばし」に近いようなことを、みんなしているんだろうな。
そんなことを考えたのだ。
階段から転げおちないであろうギリギリをぽんぽんと進んでいかないと、後ろから追い越されかねない、そう思って進んでいるのだろう。そうやって結果を常に出さないといけない。だから、うまくいっている間は、それまで成果があった方法を続けざるを得ない。
遠回りしても最終的に力が付く「かもしれない」方法は、故障などの壁にぶつかって、それまでの方法が使えなくなったときにはじめてやることになるのだろうな、と。大輔さんや宮原選手だけでなく、ジェイソン・ブラウン選手も怪我から復帰したのちに、元々いい動きがさらに洗練されたものになっていた。それまでの方法を変えることで、先が開けることがある。
しかし、現実には行き詰まりを感じていても、なかなかそれを変えるのは難しい。怪我などで強制的に止められることによって、はじめて再構築が出来ることが多いのだ。
実際、2007-08シーズンの髙橋大輔選手の演技を観ての私の感想は「今これだけやったら、来年何やるの?」だった。過去記事にも書いている。
「ギリギリまで氷の上に出している演技に思えた。このまま走って行っても、もう次に出せるものはないように感じたのだ。」
そう、先に到達する段がなくなっているのに、なおも階段を飛ばしながら登ろうとして、人はバランスを崩し、場合によっては怪我を呼び込んでしまうのかもしれない。
おそらく、より上へ登っていくためには、ときどき踊り場で方向を変える必要があるのだろう。そう考えると、大きな故障をする前に「ジャンプ再構築」を決断した浅田真央選手はやはり普通の選手ではないのかもしれない。
そして今、羽生選手はそういう踊り場に差し掛かった、ということなのかも。
奇妙な話だけれど、今回の件で、私は羽生選手が金メダルを獲得する可能性が上がったように思えたのである。
「圧倒的に勝つ」と言えば素晴らしいけれど、「全員ノーミス」なんて神頼みである。
あ、それに続いた言葉が「自分がノーミス」と、自分の演技を語っていることは知ってる。自分のすべてを出し切ることが彼の思いの中心であることは分かっている。
とはいえ、それをイメージするときに、現実離れした状況を想像して、それを語ってしまっているというのはちょっと気になる。
そんな素晴らしい舞台装置なんかを神様に期待するエネルギーがあったら、その分も自分の演技に振り向けた方がいいんじゃないか、という気がしていたのだ。
そうしたら、自分の演技以外を考えにくい状況がやってきたわけである。精神的にはプラスかも。
これからの方が期待できるかもしれないな、なんて思ったのである。
上の形で、〆るつもりでこの文を書き始めたのだ。
そう、この経験もプラスになると私は思っている、という話を書くつもりだった。
しかし、日常の些事によって何度か中断し、書ききる前に色々考えるうちに、ふっと頭に浮かんだことがあった。
「そういえば、怪我してもなお方向転換しきれなかった人がいた?ような…。」
髙橋大輔選手、2013年全日本選手権は負傷した状況で強行出場した。これは必要だったから仕方がない。
しかしその後、方向転換できたのか?
ソチ五輪の演技は、確かに精神の方向が変わっていたように思えるけれど…あれ、2013全日本選手権の状態が一番底で、そこから切り替えて、じゃないよね?五輪代表が決まる前後の顔には、まだ甘さがあった(実はその迷いが出ている顔に私はホレたのだ、と、この頃分かったんだけどね)。なんとかなる方法があるんじゃないか、とどこかで思っていたような。一方で、感覚人間だけに無理と感じる部分もあったようだけれど。
その後にギリギリまで追い詰められたんじゃないだろうか。方向を変えたのはもう少し後、最後の最後の時期のような気がする。
うーん。
羽生選手には先輩の轍を踏んで欲しくないな。
羽生選手の場合は、心のエネルギーをパンクするまで出し尽くす必要はないだろうし。
進むべき方向を見いだせれば十二分に勝つことが出来るポテンシャルの選手だろうと考えているので、そう思う。